首都圏の人口が増え続けた昭和40年代、東京に本拠を置く学校のいくつかが、埼玉や千葉に新しい学校を作り、進出した。しかし新しく建てられた学校の周囲は緑なす田園地帯だから、駅からの交通は不便を極めた。既存のバス路線を増便するには、バス会社から補助金を求められるし、スクールバスを購入するには高いしと難渋を極めたと言って良い。ここに先ず悩みがあった。新設校ゆえ授業料は高い。また、東京の風習を持ち込んだため、試験休みが多く、教科書も終わらないといった悪評が立った。東京の学校は近くに予備校があるため補習はそちらに任せるといった態度で生徒に接した。ある時期まで期末テストの答案も返さないといったていたらくであった。
郊外の学校は不便、授業料が高いなどの悪評をはねかえすために、補習の充実をはかっていった。その結果、大学進学なら私学の方が良いという評判が立ち、なんとか持ち直した。ここでやっと公立コンプレックスから抜け出したといってよい。学校群制度が始まる前の都内は都立優位で、一部の私学を除いて、成績の良くない子供たちが私学に進学するといったことが一般的であった。しかし、学校群制度のおかげで私学が息をつくことができた。そういう中で、郊外の学校の特徴を取り入れ、「面倒見の良い学校」に変貌する学校も現れた。郊外から都内へという流れが出てきたといってよい。
ここで偏差値に注目してみよう。都内の学校の努力は緩慢だったため、軒なみ郊外の学校の方が良い。例えば、同一法人の学校の中で、都内は55、郊外は62くらいな開きがざらにある。それはひとえに面倒見の良さなのである。都内校の中には、未だに補習授業を否定し、校内でやる気のある先生の足を引っ張る輩がいるのである。まだ昭和40年代を脱していないといってよい。自分たちがどうしなければ生きていけないかをわかっていないのである。既得権の上にあぐらをかき、努力もしない。教員の質の差が都内校と郊外校の中に厳然とあることも否めない。
郊外校の充実が、都内校を脅かした。郊外からの受験者が減ったのである。解禁日の違いなどの要素もあるが、面倒見の良さが評価されたのである。埼玉、千葉は都内に生徒を出さないように障壁を設けているなどと言われたが、それは違う。生徒を放ったらかして、何もしなければ、受験生は減るのである。当たり前のことだ。自分たちの努力を棚に上げて、他を批判しても生徒は集まらない。魅力をどう作り上げるかではないか。
私は埼玉、東京、千葉の一都二県の私学を歩いてきた。そういう中で魅力ある学校作りに腐心してきたつもりだ。生徒の未来をどう切り開くか、教員一人一人が身を粉にして働かなければならない。生徒が主役ということは、生徒の言いなりになることではない。生徒に考えさせ、自立させることなのである。その自立を果たさせることが教育なのである。深く耕して、穀物をたわわに実らせる。深く耕すことの大事さを生徒にわからせねばならない。今日はそういった説得的な指導が大切である。
郊外校の校長として郊外の抱えるハンディは乗り越える覚悟を持っている。これからもいくつかの方策を考えている。今日は7月31日、この話は、本校の若い先生方には問わず語りにしている。長い間、郊外校に勤務している身として、私学の歴史はこの通りだったという思いがある。思いつくままにキムログ番外編として書いてみた。






